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行動で愛を証明しよう

出版倫理と性表現について女性読者の立場から考えています。性暴力・DV反対!もっと日本が結婚・子育てしやすい国になりますように。

ある集団虐殺(ジェノサイド)の話~ベトナム・モンタニャール

民族滅亡は静かに進行する

二十代の頃に仕事で「ベトナムのモンタニャールという少数民族について文献収集をしてほしい」と命じられて、調べたことがあるんです。集団虐殺(ジェノサイド)に遭っている民族なんだそうです。

しかしとにかく情報がない。インターネットが普及し始めた頃(2002年頃)だったと思いますが、英語のサイトを漁っても、とにかく情報がない。

ようやく見つけたのが、アメリカの有名な人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が書いたこの英文の人権報告書です。

これしかなかったので、これを全訳したんです。とにかく他に情報がないんです。本書によれば、こうでした。

ベトナムという国は、52の少数民族で構成された、多民族国家なんだそうです。いちばん多い(マジョリティ)がキン族です。ひとつの国がそれだけ寄り合い所帯だったら、不安定になります。ベトナム刑法には「民族の間に不和の種をまく罪」というのがあります。そんな罪を法律で規定しないといけない国なんだそうです。

日本の場合は、大和民族アイヌ琉球民族、在日外国人、それぐらいかな? 自前で政府を持てていますから、私たち大和民族というのは恵まれたほうだと思います。 

さてベトナムの中部高原というところに、モンタニャールという山岳民族が棲んでいるんです。彼らは転地焼き畑農業(rotational cultivation)という伝統的な農業を営む農耕民族です。所有している土地を6分割して、毎年焼き畑する耕作地を変えるという独特のやり方をしているんだそうです。

焼き畑農業は環境問題の観点から問題視されていますが、彼らがやっている転地焼き畑農業の場合は、比較的環境負荷が低く、サスティナブル(持続可能)なので、それほど問題はないだろうと、大目に見られているそうです。

さてこのモンタニャールですが、所有している土地が大変肥沃なんだそうです。農作物が豊かに育つ。民族問題というのは、土地や水や経済をめぐる争いを背景にしていることが多い。そのモンタニャールの所有する肥沃な土地に、キン族が目を付けたんです。

もともとモンタニャールは、ベトナム戦争の時にフランス側と通じたので、キン族からは嫌われていました。マジョリティのキン族は、モンタニャールを集団虐殺(ジェノサイド)することにしたんです。モンタニャールは女系民族なので、女児を殺せばいいんです。相続者がいなくなれば、母親が持っていた土地は国有地になりますから、中央政府を牛耳るキン族のものになります。

女児を殺すのに、刃物はいらないんです。キン族は、モンタニャールの女児を誘拐して、売春宿に人身売買したんです。そうやって死ぬまで搾取して、死んだあとは薬品で人骨を溶解処理した。

以前カンボジアポル・ポト政権が、同じく集団虐殺をしましたが、彼らは白骨化した骨を山積みにして隠しておいたので、あとで国際社会に発見されて、人権問題として世界中にショックを与えました。

チリのピノチェト政権での虐殺のときは、死体をバラバラにして、ヘリコプターで撒く(しかし、けっこう肉片の切り方が大きかったみたいで、農地を所有する農民が空からばらまかれた肉片を発見してショックを受けたらしいのですが)ということをしたようです。

 

「死体がない」ということ

国際的な人権問題にしないために、死体を処分する、ということです。モンタニャールの場合は、売春宿で死ぬまで搾取した女児の死体を薬品で融かしたそうです。

本書のタイトルですが、その人骨を融かす時に匂いを嗅ぎつけて集まってくる、不気味な蝶のことなのだそうです。ガルシア=マルケスの小説でも、蝶が集まってきて、人が神隠しに遭うというマジック・リアリズムの描写がありますが。

蝶舞う館

蝶舞う館

 

当然、中央政府のキン族としては、モンタニャールが国際社会に助けを求める、ということがいちばん困るんです。

しかしモンタニャール側も黙って殺されるわけではなく、FULROという武装蜂起勢力を作って、武力でも闘っているし、現地でもデモをやっている。彼らが、国際社会にどうにかしてSOSを送ろうとする。

その土地にいても殺されてしまうので、みんなで徒歩で隣国のカンボジアに亡命するんです。カンボジア側で国連がキャンプを開いていて、カンボジア側から情報が出てくるので、国際社会は「おかしい」という異変に気づくんです。

HRWの報告書には、数千人単位でmissing(行方不明)と書いてある。Death(死亡)ではない。行方不明です。人がいたのに、神隠しのように杳として消えてしまった。 

彼らはなぜ忽然と姿を消したのでしょうか。そこにどんなドラマがあったのでしょうか。そこで不正に対して、泣いたり、怒ったりした人たちがたしかにいたはずなんです。

そうして、ひとつの民族が静かに死に絶えてゆき、同じ土地に何事もなかったかのようにキン族が進出して、バナナのプランテーションをつぎつぎに作るんです。

そうやって、ある民族で、女性への搾取と集団虐殺というのが、車の両輪のように行われたということです。

ボスニア・ヘルツェゴビナルワンダでは、民族浄化と称する集団レイプが行われました。ひとつの民族を根絶やしにするために、敵対民族の男が、その民族の女を犯して、子どもを強制的に産ませるということをしました。

 

弱者の声はメディアに乗らない

さて、日本では、ものすごい勢いで少子化非婚化が進んでいるわけなのですが、これは見方を変えれば、死体のない集団虐殺ということにはなりませんか? ある民族の中で、結婚・出産をしにくくする。

若い人々の姿がだんだん消えてゆき、街から活力が衰えていくのです。

私はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を思い出すのです。

「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた」「春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜はあける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている」「でも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだったのだ」

声高に性加害を放言する男どもがいます。森岡さんは少女への性加害趣味を公言しています。実際私はやられましたけども。藤沢さんはデートレイプや一夫多妻を奨励しています。

そして、歴史を書くのは常に勝者です。負ける側というのは、記録を残すことさえ、ままなりません。藤沢さんや森岡さんの言論活動は活字になります。男性だから。それを職業にしているから。彼らのような男性の書き手を使う男のデスクがマスコミにいるから。

しかし女性側の言い分というのは、なかなか活字になりません。私は彼らに対するカウンターとして、このブログを書いているのですが、私の場合は、まず書く時間がなかったのです。労働問題があり、とにかく生きるのに忙しかったのです。そして書いても、活字にならないんです。マスコミのデスクが男だからです。

AV強要問題も、ネットでは流れますけども、新聞で活字になかなかならないんです。

船戸先生の代表作は『砂のクロニクル』(1992)です。これもタイトルの由来は、武装蜂起をして敗北したクルド民族の物語だからです。砂漠の砂の上に書いた歴史なので、風が吹くと、文字が消えてしまうんです。そうやって、常に勝者によって歴史は書かれてきましたし、弱者の声は記録としては残らないんです。

正史に対して、稗史(はいし)と呼ぶのだそうです。記録がないから、想像力で埋めて、小説家が亡くなった人々に代わって、人々にメッセージを届けるんです。

砂のクロニクル 上 (小学館文庫)

砂のクロニクル 上 (小学館文庫)