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行動で愛を証明しよう

出版倫理と性表現について女性読者の立場から考えています。性暴力・DV反対!もっと日本が結婚・子育てしやすい国になりますように。

なぜ商業マスコミはいらん本ばっかり作るのか(3)

マスコミが押し付けてくるロマンティック・ラブ・イデオロギー

子どもを作るというのは、どんな動物でもやっていることです。しかし私たちは霊長類で、いろいろ余計な知恵がついてしまったので、つがいを作って、子どもを作るということがなかなかできない。

私たちの世代は、子どもの頃からテレビドラマ等の影響で、素敵な異性とドラマのような恋愛をして結婚をするという幻想を刷り込まれています。

そもそも「恋愛結婚が理想的」というのは、ロマンティック・ラブ・イデオロギーです。

80年代のバブルの時代に月9的恋愛観が流行り、女子大生ブームと『金妻』に代表される不倫ブームがありました。女性はDCブランドのファッションに身を固め、一流ホテルに泊まってセックスをして、夏はビーチ、冬はスキーに行って、ゼクシィを読んで、高原の教会で結婚式を挙げる。そしてハウスメーカーが建てた住宅に住み、お洒落な愛玩犬を飼って、子どものお受験をする。

俗に一戸建ては10000点、車は5000点の部品でできていると言います。結婚すると住宅と車が売れる。それだけの規模でサプライチェーンが潤う。大きな経済効果です。住宅メーカーと車メーカーがCMを出稿した。そういう消費社会を我々はやってきた。

女子大生ブームは、90年代に女子高生(援助交際)ブームまで水域が下がって、その後、00年代に草食系男子が増えたという時代の移り変わりがありました。

 

しかし昔は、お見合い結婚がありふれていました。小汚い市営団地とかで、パーマのおばさんがたくさんの子どもを育てて、そういう庶民的な家庭の中からダウンタウンの松本みたいな、ユニークな才能も出てくる。

一部の美男美女や金持ちだけが結婚して子どもを残すのではなく、なるべくいろんな人が結婚したほうがいい。それが生物多様性です。

見方を変えれば、もう私たちは生物としてかなり異常なあり方になっているのではないか。少子化というのは、日本民族という生き物の在り方が、生き物として異常な水準に差し掛かっているから、淘汰されようとしているのではないか。マヤ帝国やアステカ民族みたいに、滅びてしまうのではないか。 

そもそも、なぜ日本がこんなにロマンティック・ラブ・イデオロギーに洗脳されたかというと、まさにマスコミが元凶なんです。鶉まどかさんがこのように指摘しています(この本はタイトルで損をしていますけど、私は名著だと思います)。

 

そもそもかつては恋愛をして、その相手と結婚をするというルートは閉ざされていた。結婚へと至る過程のほとんどが「お見合い」であり、結婚の当事者よりも家の格付けが重要視されていた時代には、恋愛というのは若かりし頃の一瞬の思い出にすぎなかった。最終的には親が決めた通りに結婚し、女性は家事に、男性は仕事に邁進する。やがて子どもが生まれれば、また同じようにして次の家庭が作られてゆく。長い間、この流れが保たれていた。

私もこの指摘は同感です。日本でのロマンティク・ラブ・イデオロギーというのは、江戸時代に歌舞伎で心中ものが若干ありましたが、ほとんどの人々は、士農工商の同じ身分の中で、婚姻をしていたわけです。その流れが変わったのは、夏目漱石がイギリスから姦通小説を輸入した頃からかなという感じです。

しかし現代、男女平等が謳われ、ライフスタイルも多様化、同時にわたしたちは恋愛をする「自由」を獲得する。これまで禁じられていたものの解禁に、世間は沸き立ち、たちまち人は恋愛の快楽に夢中になっていった。巷には恋愛をテーマとした作品が溢れ返り、街中にはカップルたちの陶酔感を高めるような装置が所狭しと仕掛けられている。なぜなら、恋愛は誰でも簡単に摂取できる「麻薬」だから、そうやって仕掛けられたものに、人は多くのお金を落としていくからだ。

女の子のファッション雑誌の定番は「モテコーデ」だし、男性向け、女性向け関係なく、漫画雑誌を開けばラブストーリーが目白押しだ。あるいはすぽこんものであってさえも恋愛の要素が欠かせないし、戦艦ゲームであってすらも偽少女化を免れない。平日の山手線内では女子高生たちが恋バナに花を咲かせ、横に座る壮年のサラリーマンのスマホ画面には「人妻専門出会い系サイト」が映し出されている。冷房風にはためく中吊り広告の最大関心事は、今日も明日も、有名人たちの身の下事情だ。

右を向こうが左を向こうが、わたしたちは「恋愛」の二文字からは免れられない。

自由恋愛…、いや、これではまるで強制恋愛だ。

商業マスコミが押し付けてくる恋愛やエロ。こうしたものを「うざいな」と不愉快に思う気分は、私も感じていたんです。広告代理店や商業マスコミには「セールスお断り」と言いたいんです。

本を買うのをやめようと思いました。テレビも見なくなりました。

 

少子化とは商業マスコミによる公害ではないのか

マスコミは恋愛を否定すると、産業として立ちいかなくなってしまう側面があります。例えばファッション雑誌はブランド品の広告費で成り立っています。森岡さんの『最後の恋は草食系男子が持ってくる』の出版社はマガジンハウスですが、マガジンハウスは、まさにグルメ情報とデートスポットの情報で儲けた、バブル的価値観を代表する出版社です。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

いま出版社で役職付きなのはバブル世代ですよね。 

ももうデートスポットの情報はぐるなびでいい。WEBでいい。そこに対価を支払おうとは思わない。

マスコミが押し付けてくる情報に対価を支払わなくなったのは読者の不買運動です。しかし作り手側が、さっぱり気づかないわけですよ。

若い世代の盾にもなってくれず、のちのちまで続く将来のことも考えないで今の自分の地位だけ考えてる人が多そうだし。既に役立たずになった過去のやり方しか知らなくて、変えもしないような人たち。

少子化というのは見方を変えれば、死体なき集団虐殺(ジェノサイド)です。ある民族の中に、結婚しづらい雰囲気を作り上げて、ひとつの民族を絶滅に追いやる。 

それをある産業がやっている。となると、水俣チッソ有機水銀をばらまいたり、自動車のせいで交通事故死や大気汚染が社会問題になったのと、どこがちがうのでしょうか?