読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

行動で愛を証明しよう

藤沢数希「恋愛工学」問題特設ブログ。性暴力・デートDV反対!主に書物の中の性差別表現について考えています。

1995年、森岡正博さんとわたし

感じない男問題 森岡正博 筑摩書房 藤沢数希 表現規制 出版倫理 有害図書 DV 自己決定権

 

f:id:tsunamiwaste2016:20170416203940j:plain

鶉まどかさん×男性文化人(宮台真司と思われる)の事例や、岡田斗司夫×愛人80股の事例と比較するために、1995年に私(ツナミ)が森岡正博さんと知り合ったときの状況と、2012年に私が藤沢数希さん(らしき人)と知り合ったときの状況について、それぞれお話しすることにします。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

 

1995年、森岡正博さんとわたし

1995年4月、当時17歳の私は横浜駅異臭事件の現場近くにたまたま居合わせました。辺りは消防車のサイレンと野次馬で騒然としていました。駅を利用する乗降客多数に影響が出る大きな事件だったので、私は一市民としてささやかな報道・情報提供の意味を込めて、「現場はこんな状況でした」という現場リポートを書いて、パソコン通信ニフティ・サーブ」のBBSに投稿したのです。

当時森岡さんは当時「ニフティ・サーブ」の懸賞論文の審査委員をやっていました。たまたま私の投稿をご覧になったみたいで、「文才がありますね」というメールを頂戴しました。それがきっかけです。

森岡さんは翌年『宗教なき時代を生きるために』(法蔵館)を執筆し、その中でオウム真理教事件について論じています。ただし彼は、刺殺された村井秀夫に共感していました。つまり加害者側です。私はカルトには被害者視点から関心がありました。

宗教なき時代を生きるために

宗教なき時代を生きるために

 

オウム真理教の村井秀夫という男は、阪大の物理を出て、オウムに入って刺殺されたのです。一方森岡さんは、物理学者になるつもりで東大に入って、途中で文転(文学部に転部)している人です。物理というのが共通軸です(後に私が出会う藤沢数希も理論物理学者というプロフィールを公開しており、『反原発不都合な真実』という原発の本を書いています)。彼が36歳の時には、文理両方に通じた学者として意義深い仕事をしてくれそうな予感があったのです。

私は講談社ブルーバックスを何十冊も持っているような科学少女でしたので、養老孟司先生と対談本を出していると知って、有隣堂に本を買いに走りました。

対話 生命・科学・未来

対話 生命・科学・未来

 

読んで思ったのは「頭脳明晰、ビューティフルマインド」ということ。こういう前途有望な先生がいれば、未来は明るいし、これから科学技術が発達してどんどん便利になるし、みんな幸せになると思いました。ハンサムな若き天才科学者からメールがくるなんて、ハーレクイン小説みたいと思ったのです。

本書ではこんなやりとりがあります。

養老 それは恋愛だって同じですよ。恋愛の最中には一生懸命になるけど、終わってしまえばなんであんなに一生懸命になってたんだと思うでしょ。過去の自分のことは忘れますからね。そこでは自分自身についても伝達不能な変化が起こっているわけです。自分でもわからないものを若い人に簡単に伝えることなどできない。

森岡 恋愛がどんなものかは、自分で実際に恋愛してみないと絶対にわからない。恋愛をトータルにわからせるためには、その人に恋人を作ってあげるしかない。そういうことですね。

養老 そこでどうするかというと、あるフォームを保存するわけです。それがたとえば解剖の実習です。そういうフォームを保存しておくと、その中を学生たちは通ってくる。それで変わる者もいるし、変わらない者もいるんです。

これを読んだ処女の私は「しめしめ」と思いました。

私はちょうど年頃で、恋愛やセックスに関心がありました。小説家になるという夢があったのですが、男の子とつきあったことないから恋愛シーンが書けない。高校に通っていなかったので、どうやって異性と出会いをつかめばいいのか、宛もありませんでした。17歳の女の子の考えていることなんて、こんなもんです。コバルト文庫の新人大賞を取れば賞金100万円もらえてデビューできるな、くそ親から独立できるなとか。

たしか室井佑月さんだったと思うんですが、ある女流作家が、十代の頃に近所のお医者さんに頼んで初体験の手ほどきをしてもらったという告白記事を雑誌か何かで読んだのです。よく「初体験は痛い」と聞きますし、同年代の男の子の雑な手に任せるより、手慣れた年上の医師のような男性がいいだろうと思っていました。また避妊(コンドームの適正な装着方法)をマスターすべきと思っていました。端正な容姿で臓器移植を語る森岡さんはその理想像にぴったりだったのです。

とこう書くと、サガンの『悲しみよこんにちは』のような話ですが、しかし私はジーン・セバーグでは全くない。牛乳瓶の底メガネにひっつめ髪でした。そんなブスでもいっぱしに「恋愛したい」とか考えているんです、不遜にも。今考えるとひどいものでした。よくもまあ、そんな状態で知らない人の胸に飛び込んでいこうなんて、突飛なことを考えたと思います。

ある時、一計を案じて、「友達と温泉に行った」という内容を、性的に書いたメールを送りました。「お湯で濡れた」「温かかった」「裸で、湯気が立ち込めていて」など、性的に取れる暗喩表現を多用して、最後まで読むと「実は友達と箱根の温泉に行った。楽しかった」とオチになっている。他愛もないいたずらです。読んだ森岡さんがまんまとひっかかってくれて、「初体験のことを書いているのかなとあらぬ想像をしてしまいました」と正直な感想を寄せてくれたので、私はあべこべに「処女なんです。性の手ほどきをしてくれませんか」と切り出しました。

当時、森岡さんは京都の国際日本文化研究センターにお勤め(研究者であり、まだ教員ではありませんでした)でご結婚されていました。本のあとがきには、ご家族への謝辞が書かれていました。

ネットで知り合った、既婚男性に体を任せるなんて大胆な考えです。でも私は「この人はたぶん大丈夫」と思ったのです。信頼して大丈夫だし、たぶん話を聞いてくれるなって。脇の甘さみたいなものも見透かしていたかもしれません。「年上をからかうのはやめなさい」と怒られるかなとダメ元でしたが、相談を聴いてもらえました。

私は関東に住んでおり、遠距離恋愛でした。『意識通信』に書かれているような、メールや電話等を使ったロマンティックなコミュニケーションを通じて、お互い惹かれていきました。

当時まだWindows95が発売されたかどうかの過渡期であり、テキストチャットやメールでよくやったものだと思います。電話代はコレクトコール、先方負担でした。律儀な方でした。

深い深いコミュニケーションでした。トランス状態というか、瞑想に入るような感じです。後年出会う藤沢数希(らしき人)も似た精神世界を持っていて、シュノーケルで海の中を静かに降りていくような感じです。何を尋ねても、熟考された回答が即座に返ってきます。即答です。電話がつながっているだけで、ずうっと男性側は勃っていますし、こちらも全身が敏感になります。相手が何を考えているのか以心伝心でわかります。

「18歳になるまで待とうね」と言われて、夏になるのを二人で待ちました。18歳になってから、結ばれています。品川プリンスホテルでした。まだ助手で、そんなに経済的に余裕なかったと思うのですが。ホテル周辺で食事をごちそうして頂いたあと、まだ日の高いうちから、部屋に入って、愛してもらいました。

ちなみに「未成年の性の自己決定権」ですが、現在は18歳ということになっており、青少年保護育成条例等でも、淫行罪は18歳で線引きをされています。その「自己決定権」の内容を定義するのが、まさに森岡さんたち倫理学者の仕事なんです。

同じ倫理学者でも、加藤尚武さんは明確に「子どもは保護の対象である」と断言しています。

この未成年の性の自己決定権の話ですが、加藤尚武さんのこの本をテキストにしながら、別のエントリーで展開したいと思っています。

応用倫理学のすすめ (丸善ライブラリー)

応用倫理学のすすめ (丸善ライブラリー)

 

彼との交際は、デートDV的な交際でつらかったです(後に書かれた『感じない男』第3章・4章を参照)。モラルハラスメントがありました。向こうが圧倒的な強者なので、こちらは黙って我慢するしかないのです。またこちらは交際経験がないので、比較対象がありません。「ふーん、そんなものか」と感じて、フリーズしてしまったんです。

好きになってしまったけど、住む世界がちがう人だし、親にも反対されているし、どこにもいけないから、目的意識的に次の彼氏を作って、振り切るようにして忘れました。

次に交際した男性は健全な人で、未熟な私を育てようという関わり方をしてくれました。その後の人生で、恋に落ちるということとつきあうということは、まったくちがうことなんだと学びました。そうやって、大人の階段を上っていきました。

失恋というのはそれ自体が外傷体験です。忘れてしまうことは、こころの安寧を守るためにも、大切なことです。

後年、『草食系男子の恋愛学』がベストセラーになっていた頃、私はこの緑の表紙が書店で平積みになっているのを見て、混乱しました。

私の中の埋もれた記憶と、メガネをかけた生真面目な少年の表紙。食い違いを感じていたのです。この人は嘘つきだと思いました。異常者だと思いました。しかし当時は黙殺しました。誰ともその感情を共有しませんでした。公然と行われる不正に対し、私は心の底で怒りを感じていましたが、じっと腹の中にしまいました。ほうっておけば収まると思ったんです。22年間、私は彼のことはほとんど忘れて生きてきました。

その後、2012年に、私は森岡さんとよく似た別の男性と知り合いました。その人が藤沢数希さん(らしき人)です。彼は昔、森岡さんが私にかけたいろんな呪いを解いてくれました。おかげで、捉われから解放されたところがあります。しかしいろいろあって音信不通になりました。

しばらく彼のことを待っていましたが、4年が経ち、私は生活に追われて彼のことは忘れていきました。

昨年12月に千葉大集団強姦事件が起こりました。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

私は森岡さんには一生連絡するつもりはありませんでした。しかし恋愛工学で傷つく女性をひとりでも減らしたかったので、森岡さんに「恋愛工学(ナンパ師問題。若い男が女をとっかえひっかえする)を批判してくれ」と頼みました。「恋愛工学」がキャンパスレイプを引き起こしている可能性があり、彼はスーフリ事件のあった早大ジェンダーの先生でした。

●「恋愛工学」はなぜ危険なのか 女性蔑視と愛の砂漠

http://www.lifestudies.org/press/rls0801.pdf

できあがったものを読むと「自分が正しい恋愛とセックスを教える」とありました。私は「家庭」という言葉がないと言って怒ったのです。58歳であれば、愛を他者に与えるということができていなくてはならない年齢です。「恋愛とセックスだけで男の仕事が済むなら、ただのサオ師じゃないの」と私はなじりました。

恋愛工学とは「男が、若いうちに女をとっかえひっかえする」というナンパ師問題です。既婚男性にも不倫を奨励している。「なぜ不倫してはいけないのか?」という問いの答えには、当然「家庭」というキーワードが出てくるはずです。

男親が浮気すれば、機能不全家庭になりますから、当然妻子に問題が出ます。奥さんに我慢ばかりさせていたら、奥さんはいつか出ていってしまいます。親が好き勝手していたら、当然子どもは非行に走ります。「私が正しい恋愛とセックスを教える」ではなく「恋愛と家庭運営」でなければおかしい。

「おやおや、おかしいぞ。この人はこの22年間どう過ごしてきたのか」と思い、書棚に積読になっていた、2005年当時47歳の著者が執筆した『感じない男』を読み、愕然としました。「どうやら自分は男を見る目がなかったようだ」と頭を抱えています。

決定版 感じない男 (ちくま文庫)

決定版 感じない男 (ちくま文庫)

 

森岡さんはドメスティック・バイオレンスの加害者という自己認知に至ったそうで、本書ではそれをカミングアウトしています。「実際の少女と性的に関わったことはない」と嘘を言った上で、「12歳の女児の身体で性行為をしたい」という加害欲をおっぴろげに告白しています。

本書の第三章・四章で執拗に書かれている「自ら洗脳を志願する少女」というのが私のことです。私に対して行ったデートDVが書かれています(全部ではありませんが)。

私は一読して、まず書いてほしくなかったというのが率直な感想です。迷惑です。私も物書きのまわりで仕事をしていたからわかりますが、相手のあることですし、書かないのがマナーです。

また私は昔の交際は「年齢差のある恋愛」だと思っていたのですが、そうではなく、彼は元から少女に対する強い虐待願望があって、私に近づいてきたようです。

時系列に直すと、森岡さんは20歳(1978年)の頃にロリコンになった。マンガなどを読んでいたようです。

20代で結婚し、30歳のときにお子さんを授かった。

子どもの脳死臓器移植の自己決定権に関する研究(1989年頃)をしていたのは、どうも12歳の女児の肉体を入手したいという異常な性的願望からのようです。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

35歳(1994年)のときには、同僚の女性研究者と不倫関係にあった様子(相手の女性が『悪妻のすすめ』という本を1994年に書いている)。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

1995年、奥様と不倫相手がいたにも関わらず、17才の私に下心を持って、声をかけてきたようです。

私は愕然としました。自己決定権をめぐる議論では「自分が選んでいるのか、他に選択肢がないから選ばされているのか」という命題の立て方があるのですが、私は選ばされていたのかもしれないと思いました。ここには書けないのですが、心当たりがありました。

また本書は、著者は「実在青少年に手を出したことはないけど、十代の少女を性的に虐待したいという願望がある。その倒錯心理を自己分析する」という論の進め方をしているので、「実は著者は実在青少年と交際してデートDVしていた」という新事実が判明すると、論理破綻してしまう構造を持っているのです。お金を払って読んでくださった読者の方に失礼です。

書くのであれば、最初から正しい内容の原稿を出版社に入稿して、出版契約を取り交わすのが筋です。

しかし本書のP.181に書いている通り、

自分勝手なイメージや、自分だけの都合を女に押しつけることによって、女を自分勝手に飲み込んでいこうとする男ができあがるのである。その男の内面は不安と自己否定に満ちているにもかかわらず、表面だけ見れば自身にあふれていたり、女性に共感的であったり、僕も傷ついているというような顔をしていたりする。そして何かあったときには、女と正面から向き合おうとせず、一方的に、その女を切り捨てようとする。

今回、まさにこの通りのことをやりました。私を切り捨てました。よく自己分析できています。

出版元の筑摩書房に電話をしましたが、対応に不信感があります。現在の勤務先の早大に電話をすると、「うちの就業規則とは関係ないので、弁護士を入れて、個人として交渉してください」と言われました。大阪府立大に問い合わせると、「退職済です」と言われました。先週、筑摩書房にお手紙を送ったところです。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

 私は「犬を飼うなら縄をつけてください。縄をつけないなら飼わないでください」と言っています。放し飼いにしないでほしいんです。アディクション当事者であるとカミングアウトしている学者を大学が雇用したり、出版社が本を執筆させるのを、私たちは止めることができません。しかしそれには当然、責任というものがつきまといます。

何にも痛痒を感じないのか、良心の呵責を感じないのかなと不思議です。『感じない男』という本は、まさに表現物と若年女性の性搾取について考えましょうという、そういう趣旨の本のはずです。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

私は、彼は、読者に対して謝罪・訂正をするべきだと思っています。彼は『感じない男ブログ』という本書の後日談的ブログを運営しており、訂正しようと思えばすぐできる立場です。読者はお金を払って読んでくださっているんです。アマゾンのレビュー欄を見て頂きたいのですが、読者の方はみなさんまじめです。

また、今回のことは筑摩書房の不祥事だと思っています。本の作り手側のモラルが相当おかしいと思わされた出来事でした。雑誌のパブ記事ではなく、単著で、しかもちくま新書です。

幻冬舎が藤沢数希著『ぼくは愛を証明しようと思う。』を出したときには、幻冬舎は海賊的な出版社だから仕方がないかと思いました。講談社アフタヌーン『ぼく愛』のマンガを連載しているのを知り、出版界の堕落を嘆きました。新潮社が『損する結婚 儲かる離婚』を出したときには「新潮社は何でも出すから」という評を聞いて諦念の境地に入りました。

今回は「ちくまでこれ?」と思っています。このモラルハザードを許容してしまうと、もう私たち愛書家は何も信じられなくなってしまいます。彼ら書き手・編集者の奢りを消費者である愛書家がそこまで許容しなくてはいけない筋合いなんか、あるのでしょうか?

私のほうは愛情があってこの人と交際していたので、何も恥ずかしいことはありません。交際はプライベートでしていたことなので、今まで公にしたことがなかったのですが、彼が言論人であり、言論活動の内容に非常に問題があると思ったので、公にしています。本当は話したくなかったです。残念です。 

いまの心境としては、森岡さんとは最初から関わるべきではありませんでした。

こんな基本的な事すらできていない人間が、脳死・臓器移植問題のような、生と死の厳粛な場にでしゃばって、”ベッドの上の昏睡患者とその家族・友人たちとのあいだの人間の関わり合い””関係性指向アプローチ”とか寝言をほざいてきたのかと思うと、恐ろしいと思いました。

これを読んで義憤を感じた人、下記のフォームから筑摩書房に意見を送ってください。こういう不正を放置しないことは大事だと思います。宜しくお願い致します。

www.chikumashobo.co.jp

参考:名誉毀損の違法性阻却・免責に関する法理

  • 摘示した事実が公共の利害に関する事実であること(公共性)
  • その事実を摘示した目的が専ら公益を図ることにあること(公益性)
  • 摘示した事実が真実であること(真実性)、または真実である信ずるについて相当な理由のあること(真実相当性)
  • 名誉毀損 - Wikipedia