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行動で愛を証明しよう

藤沢数希「恋愛工学」問題特設ブログ。性暴力・デートDV反対!主に書物の中の性差別表現について考えています。

もはや出版社はいらないのではないか

感じない男問題 森岡正博 表現規制 筑摩書房 メディアリテラシー ジェンダー批評

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森岡正博と藤沢数希に共通する「ITスキル」

今回のキーパーソンである森岡正博さんと藤沢数希さんというのは、たまたまなのですが、二人とも、ITにいち早く取り組んできた先駆的な書き手なんです。

森岡さんは、パソコン通信ニフティ・サーブ」の時代からネットに積極的に取り組んできていて、「KINOKO PRESS」という一種の電子出版をご自分でおやりになっている。今回の恋愛工学批判論文も、レイアウトの体裁まで整えて、PDF形式で公開しています。

 http://www.lifestudies.org/press/rls0801.pdf

小見出しには大きめのポイントのフォントを充て、脚注は下部に小さめのフォントでレイアウトしている。誤字脱字もありません。

『感じない男』も、小見出しが複数ある章立てになっていて、脚注には少し小さめの活字が使われている。

おそらく編集者は、森岡さんが入稿してきた電子テキストをそのままDTPに流し込んだだけなのではないか。装丁を決めたり、巻末に広告を付けたりした程度なのではないか。

 一方、藤沢さんの方は、電子テキストを直接マネタイズするメルマガという形態にいち早く目を付けて、莫大な収益を上げているライターの代表格です。品質管理も自分でできている。時事ネタとレストラン情報と読者投稿欄という内容です。誤字脱字もほとんどありません。よく配信時刻が締め切りを過ぎて、読者が苦情を言っているので、進捗管理に若干問題があるのかなというという感じはしますが、しかしメディアとしては、自己完結できています。

二人とも、読者と直接取引ができるライターの代表格です。影響力もあります。ツイッターのフォロワー数もたいへんなものです。

彼らは、出版社いらずのライターの代表格です。というか、そもそも出版業なんか、パソコン一台あればできるちんけな商売だった、というのが真相だったのかもしれません。

 

IT時代になってライターの仕事が増えた 

昔の編集者というのは、私も本でしか知らないのですが、作家の自宅を訪れて、原稿を回収するところから始まりました。「電車の網棚の上に大切な玉稿を置き忘れて大変なことになった」なんていう話を本で読んだことがあります。

進捗管理にしても、山の上ホテルが有名ですけど、作家をホテルに缶詰めにして、どうにか書いてもらうという時代がありました。

手書きの原稿に、赤鉛筆で校正をして、レイアウトもトレーシングペーパーで指定して、植字工が活字を拾うという、大変な苦労があったわけです。

ワープロが普及し始めたのが九〇年代ぐらいだと思います。最初は、富士通の『オアシス』という親指シフトワープロが、新しもの好きの作家たちによって使われ始めました。

私と森岡さんが知り合った一九九五年頃は、PC-9801の時代です。彼は『一太郎』のジャストシステムから本を出していますが、MS-DOSからWindows95への移り変わりの時期で、ワープロソフトは『一太郎』でした。まだ通産省が国産機の囲い込み政策をしていた頃なので、NECや富士通やシャープという企業がパソコンを作っていたんです。私が持っていたパソコンは40万円ぐらいしました。いまは中国・韓国に製造業を取られてしまったので、国産でパソコン製造をしているのはパナソニック東芝ぐらいです。

そのころは、出版現場ではマックを使っていたはずです。九〇年代末に私も「クォークエクスプレス」というマッキントッシュのDTPを勉強しました。

その後、低廉なDOS/V機が一気に普及し、誰もがWORDで簡単にDTPにトライできる環境が整いました。

たしか二〇〇〇年頃には、南米のアマゾンに取材に行ったライターが、ノートパソコンと衛星電話を使って、現地でレイアウトまでして編集部に電子入稿したという話を聴いた記憶があります。私は「えっ、アマゾンにいる人にレイアウトまでやらせるんですか? 編集者ってそこまで怠惰なんですか」と思ったんです。外注のライターのほうが立場が弱いのです。

それまで出版社が担ってきた業務が、どんどんライター側に移っていった。ライターの仕事が増え、一方で編集者の仕事は楽になっていったはずなんです。

にも関わらず、著者印税が上がったという話は聞かないですし、一方で編集者の給与は高止まりです。

インターネットでの情報発信も、二〇〇〇年頃には、ホームページの作成にはHTML言語を習得する必要がありましたが、現在ではブログやSNSというプラットフォームが普及し、誰でも簡単に情報発信ができる時代になりました。

読者の本に対する考え方も変わりました。昔は縦組み文字でないと読まないという読者が多かったですが、いまやスマホで横組みで読む人が一般的です。

この『感じない男』の担当編集者の怠慢を考えると、「まだWIKIPEDIAのほうが中立的な編集をするべく努力がなされているのではないか」という感じがするのです。もう製本程度しかやっていないのではないか。解説もない。装丁もシンプル。挿絵やグラフ、写真類も、内容柄特にありません。

藤沢さんの『損する結婚 儲かる離婚』の場合、グラフが挿入されていますが、これはおそらく藤沢さんの側で用意したのではないか。この程度のグラフなら、「ランサーズ」や「クラウドワークス」を活用すれば、廉価ですぐ作ってもらえます。

編集者がサボっている間に、ライターのほうはこれだけゼネラリストになっている。

出版社からすると、森岡さんや藤沢さんみたいに「誤字脱字も少ないし、進捗管理も手間がかからないし、文章の品質も高い。レイアウトまでやってくれる」というライターは使い勝手がいいんじゃないかなと思ったんです。

 

もう出版社はいらないのではないか

こうなってくると、もう出版社の機能は、企画のアレンジメントやせいぜい内容確認といった、プリミティブな機能に限られてくるのではないか。

今回筑摩書房の某男性編集者が、内容確認すらろくすっぽしていない、ということが判明した。大変義憤を感じています。こんな仕事で読者からお金を頂くなんて。無能きわまりない。

だったら、もう著者と読者の直接取引でいいじゃん。そのほうが中間マージンがカットできますから安いです。著者の取り分も多い。

私たち読者からすると、もう出版社という業種は使命を終えたのではないかという気さえするのです。むしろ、このような前近代的な業界が存在することの害毒のほうが大きいのではないか、一度全部淘汰されたほうがいいのではないか、という気さえしてくるのです。

自費出版を扱う出版社もありますが、そうした会社はトラブルが多く、特商法違反などで消費者庁も介入しています。

消費者側から見ていて、これだけコンプライアンス意識が低く、自社の経営改善すらままならない、という業界は特殊すぎると思います。そういう人たちが、「ジャーナリズムとは何か」とか「俺が本のプロデュースをする」とか偉そうなことを言っている。

コンビニで、窓際の棚に並んでいる週刊誌を見ていても「こいつら、本当に節度がない業界だな」という印象です。やりたい放題。

というか、表現規制がなかなか進まないのは、マスコミ業界、特に新聞・出版業界のオッサンが産業廃棄物だから、というのがいちばんの問題のように思えるのです。

表現の自由は大切だ」、たしかに誰もが頷く正論です。「戦中の言論統制は、性表現を口実に始まった」、そうかもしれません。しかし今の無法状態は異常です。彼らが主張していることは空理空論なんじゃないのか。

賃下げに同意できなくて会社が倒産したというのも、「給料は年々上がるべきである」という、誰もが頷く正論を曲げることができなかったのではないですか。その空理空論のしわ寄せがどこに行くのか、倒産するまで、自分の問題として考えてこなかった。同じ社内に、経営者と労働者がいて、自社で帳尻を合わせることすらできない会社だった。それほどまでに相手の言い分を聞くことができない人々が、一方的に表現の自由を主張し、悪書を作って世の中にバラ撒いてきたのではないか。

私たち女性読者は「デートレイプをしろ」と扇動する小説なんて、市場に出回らないでほしいのです。そのしわ寄せは私たちにくるからです。

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ネットでいいような、粗悪な情報は「むしろ本にしない」という方向で、ブランドビルディングをしてほしいのです。本になってしまうと、公立図書館や学校図書館にも配架されてしまうんです。貴様らが悪書を作ってバラ撒く権利の留保を「表現の自由」などという美辞麗句にすり替えるんじゃない。

再度編集者にお尋ねしたいのは、読んだ人が幸せになれる本づくりをしていますか? まず編集者が変わらなければならないんじゃないですか? エリート意識を捨て、もっとホスピタリティや顧客満足度を大事にしていかないといけないのではないですか?

男性編集者・新聞記者という職種に限定して、「私生活でどれぐらいDV離婚をしているか」というアンケートを実施して、統計を取ってみたら、おもしろい結果が出るかもしれません。 

 

読者からするとこの二人のライターは信用できない

読者目線ですと、もう森岡さんや藤沢さんのコンテンツは一切信用できません。森岡さんは今回『感じない男』で、意図的に嘘を混ぜてきたことが発覚しました。これは筑摩書房が間に入っていますので、出版社がどう著者に対して対応するかです。しかし私たちとしては、今後も彼の情報発信については信頼性を留保せざるを得ない。

藤沢さんはもっとうさんくさいです。顔も経歴も分からない。彼が書いた恋愛工学を読んだ読者が千葉大集団強姦事件を起こしたという報道さえある。

電子出版での直接取引の場合、彼らが書いている原稿の信頼性を担保する立場の人がいない。彼らが守備範囲にしている恋愛や結婚という分野は、結果が出るまでに二十~三十年程度かかるものです。

しかし彼らは言論責任を取らない、取れない。彼ら自身の人生がうまくいっているかどうかさえ不明である。彼らの私生活に関する客観報道がまったくない。

知りたいのは、森岡さんが萌え萌えする理想の少女の話じゃないんです。

顔も分からない藤沢さんの謎のモテ自慢じゃないんです。

 

女性読者がこの二人について本当に知りたいこと

森岡さんは、私生活うまくいっているのか。まず聞きたいのは「別れた奥さんから何を言われたのか」ということです。またいまパートナーの方がいらっしゃるとしたら、「何かご不満はありませんか」ということです。

宮台については、父権にこだわってるけども、アサヒビール顧問というオヤジさんはどのぐらいトンデモだったのか。(私は今回はちょっと宮台はパスしますけど)

藤沢さんについては、まず「顔」です。どんだけイケメンなのか。あと、森岡さんと同じで、私生活うまくいっているのか。パートナーさんが何を言っているのか。

これが私たち女性読者が、やつらインテリナンパ男三人衆について本当に知りたいことです。

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いま私たちが出版社に求めているのは「ジャーナリズム」「公正な客観報道」「正確な知識の普及」です。とにかく中立的な編集をしてほしい、誤報・誤植をしないでほしい。

私たちが知りたいのは真実です。恋愛・結婚に限っていえば、どうすれば異性と幸せになれるかが知りたい。まず「著者のパートナーが幸せなのか」を知りたいんです。

藤沢さんはどこの誰かわからないですが、森岡さんのほうは、私は昔付き合っていたので、私が女性読者代表で、直球で「どうなの、私生活うまくいってるの?」と聞きます。向こうも言えることと言えないことがあると思いますし、私も書けることと書けないことはありますが、ぎりぎりまで皆さんの「知る権利」に応えたいと思います。

※私は筑摩書房に「森岡さんにインタビューさせてください」と申し込んでいます。私を応援してやろうと意気に感じた方、ぜひ下記のフォームから筑摩書房にメールをお願いします。

www.chikumashobo.co.jp