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行動で愛を証明しよう

藤沢数希「恋愛工学」問題特設ブログ。性暴力・デートDV反対!主に書物の中の性差別表現について考えています。

恋愛論を書く文化人の言論責任について考える

ジェンダー批評 感じない男問題 森岡正博 藤沢数希 筑摩書房 表現規制

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原則論なのですが、何か物を言うときには、発言責任というものが付きまとうんです。普段の生活でも、人にえらそうなことを説教すると、「おまえはそんなに立派なのか?」と白い目で見られますよね。ですから、普通の人は「自分は大した人間じゃないから、えらそうなことを言うのは控えよう」と口を慎みます。

空理空論を説くことは誰でもできます。ではなく、言ったからには実現性がないといけない。

とりわけ大きな権力や影響力がある人の場合は、言論責任と言われるのですが、発言に対する責任を求められます。政治家が代表格で、野党から発言の矛盾を追及されます。 

マスコミなどで大きな影響力を持つ文化人や、税金を使う立場にある公務員は、当然批判されます。昔、小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で、独特な持論を展開して、大変批判をされました。『噂の真相』などが、彼の私生活の愛人関係をスッパ抜き、スキャンダル報道しました。

歴史的に商業マスコミが、社会正義を実現するという大切な使命を担ってきたんです。

森岡さんや藤沢さんは、自分から『草食系男子の恋愛学』や「恋愛工学」なんて書いて出版までしていますけども、私なんかから見ると「人様に対して恋愛論を説くだなんて、神をも恐れぬ行為だ。無謀だ」と思うんです。

だって「俺が恋愛とセックスを教えてやる」なんて豪語したら、「あんたの私生活はどうなのよ」と当然、私生活を詮索されます。読者が一番知りたいことは「本当に著者が主張する方法で、著者とそのパートナーは幸せになっているのか?」です。

言論責任を取れないなら、最初から言論活動なんてやめたらいいと思うんです。私は「人様に偉そうなことを言う資格は私にはない」と思っていたので、おとなしく派遣OLをやっていました。

森岡さん・藤沢さんの二人に共通するのは、自分に都合の悪い情報は徹底的に隠ぺいするが、自分は無責任に若者に恋愛論を一方的に説いて、お金稼ぎと虚栄心を満たすということをやっている。

例えば同じ本づくりでも、数学の問題集を考えてください。学研や昭文社から出版されているような問題集です。読者が問題を解いて正解と合わなかったら、そんな問題集は使い物になりません。ですから校正を入れて品質管理をします。辞書や年鑑類でも、出版後に誤植が発見されたら、正誤表を配ります。

しかし恋愛・結婚やDVの場合、結果が出るまで20~30年程度かかります。私たち読者としては「この本は信じられるのか」と、徹底的に疑います。失敗したら、取り返しがつかないわけですから。

しかし藤沢さんと森岡さんについて、彼らが一方的に説く恋愛術が本当に実情に合っているのかどうか、読者が確認する術がないんです。とりわけ、彼らが説いているのは男の子向け恋愛論です。彼らの読者は私たち女性のところにくる。

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にも関わらず、彼らの私生活に関する客観報道がぜんぜんない。私は『感じない男』を読んで、「むかしの交際のことを話していかないといけないな」と思いました。

tsunamiwaste2016.hatenablog.com

著者だけでなく、編集もそうで、本来であれば中立的な編集を心がけなくてはならないのです。WIKIPEDIAだって、中立的な編集をしろと言われますよね。

『感じない男』という本は、中立的な編集をした痕跡がほとんど見受けられないのです。

  1. 男性著者の原稿なのに担当編集者が男性(管理職のアサインがまちがっている。采配ミスと思われる)
  2. アディクション加害者の告白にも関わらず、その分野に詳しい専門家(精神科医臨床心理士等)の解説がついていない

ほぼ森岡さん側の言い分の一方的な垂れ流し。筑摩書房の編集者が、著者の持ち込んだ原稿をそのまま本にしているのではないかと疑っています。事実確認すらしていない。というか、どうもうすうす「ガセだ」と感じていたらしいのに、そんなものにちくま新書の信頼のラベルを貼って出版してしまっている。こんなのはツイッターと同じです。だとしたら、愛書家としては、今後ちくま新書は信用できないです。

いまWEB時代になって、言論責任という言葉も薄れてきています。匿名で誰も気軽に無責任な発言ができる時代になってしまいました。そうなるとメディアリテラシーが重要になってくるのですが、その風潮に、本来はプロのはずの商業出版社が丸乗りしている。

であればもうWEBで十分。本なんて買いません。書き手として見ても、本だと著者印税10%ですが、NOTEだとほとんど著者の取り分です。出版社・取次・書店が取る中間マージンがありません。たしか本の定価の3割ぐらいが出版社の取り分だったはずです(手元に正確な数字がないんですが)。 

編集者が仕事しないなら、もうISBNコードが付いた本は買いません。今後は著者と読者の直接取引でやっていきます。営業権や言論の自由は振り回すけど、いざ責任を追及されると「著者の私生活の問題だからうちは関係ない」「編集責任取りません」と主張するジャーナリズム不在の出版社は社会の大迷惑です。早く潰れてほしいんです。私たち読者が知りたいのは真実です。

私は今回、出版社の中の人と話すべきだと思いました。今回筑摩書房へのお手紙で「まず出版社の中の人が考えないといけないんじゃないですか。このままでいいのか」というふうに申し上げたんです。「読者に見放されますよ。読者に見放されているから本が売れていないんじゃないですか」と。 

かつて、太宰治井上ひさしのように、痴情沙汰で文章を書いたり、私生活でDVをして、仕事をなんとかやっている作家が存在しました。いまもそういう方はいらっしゃいますが。私はそういう文筆業者の存在を全否定はしませんが、もうかつてのように文壇があった時代ではない。DVというのは精神科での治療対象ですよというように、社会の認識が変わってきている。

女性や未成年のような圧倒的な弱者が、自分の会社のすぐ近くで虐げられている。そういった反倫理的な行為を「自社が収益を上げるためにはしかたない」と必要悪として見て見ぬふりをする。「芸術のためにはしょうがない」として大目に見る。そういう産業は、もう産業としてどうなんですか、ということです。

他の業界はコンプライアンスとか、CSR(企業の社会的責任)などと言われていますが、自社の利潤追求だけでなく、社会貢献を考えたビジネスをしている。そんな時代にも関わらず、自社の利潤追求のために女性や子供の人権を踏みにじって平気であるならば、そんなものはただの反社ではありませんか。実際に、AV業界でスカウトの取り締まりが警察によって始まりました。

いままでは、社会正義のために公正報道をしてくれるから、商業マスコミの存在意義が認められてきました。しかし今回のことはそれとはまるで逆のことです。ジャーナリズムのない商業マスコミは潰れて頂きたい、時代とともに淘汰されるべきだと思います。だから本が売れないんです。私たち読者の「不買運動」なんです。情報の裏取りすら満足にできないなら、もうWEBでいいのです、って。

匿名作家である藤沢数希の「調査報道」なんて関心がありません。そんなものは宛にならない。彼に関しては、まず顔と経歴を報道してほしい。それを報道してくれるなら、その本は買います。

森岡さんだって「俺が恋愛とセックスを教えてやる」なんて豪語するなら「お手並み拝見」と言いたいです。

彼がこだわった「男らしさの解体」は、果たして、どこにしわ寄せが行くのでしょうか? 森岡さんはお母さんのことが嫌い(もう亡くなっている)なんですけど、一体どんなトンデモ母ちゃんだったのか。著書でもよくお母様のことを書いています。しかし私は「どこの家にもある親子喧嘩なんじゃないの?」と疑っています。必要とあらば、出身地の高知も行きましょう。日文研の京都も大阪府立大へもどこへでも足を運びましょう。

ジャーナリズムというのは本来そういうものでしょう? 「現場百遍」とか「時代と寝る覚悟」と言うじゃないですか? 彼の主張にどれだけ妥当性があるのか、そこを確認しないと、彼の本を信じることはできないです。極端な話、私は58歳の森岡さんと私情抜きで寝たっていいと思っています(これは「その覚悟がありますよ」ということであって、実際は書けることと書けないことがありますし、あちらもできることとできないことがあると思います)。

森岡さんは『草食系男子の恋愛学』を「実用書です」と太鼓判を押して出版しています。しかし、私は18歳のときの彼との交際でつらかったですし(不倫なんでしょうがないんですけども)、その後「たかだか十年ちょっとで、若者に恋愛術を説教できるほど健全化するものなのかな?」と疑問に思うんです。今回も『感じない男』でこういうことを元カノの私に対してやらかしてくれる。

森岡さんは私生活では結婚に失敗しています。一方、私の観察では、草食系男子と呼ばれる若年男性たちは精神的な自立ができていない。であれば、まずそこに問題があるのではないか。実際に森岡さんは、亡母から自立できていない。男は自立を獲得してからでないと結婚できないのではないか。そこを本人に尋ねたいんです。

宮台は父権を解体しました。藤沢数希はデートレイプや一夫多妻を推奨しています。

一夫多妻制度は日本の場合、すでに前世紀に結果が出ています。機能不全家庭になりやすいので、うつ病など、たくさん問題を抱えた子供が生まれるんです。となると、いま藤沢数希が行っている言論活動の結果は、次世代で出ることになります。この対価は誰が支払うのでしょうか? 何の罪もない、読者の子どもたちです。

大衆は自分を甘やかしてくれる思想が大好きです。宮台・森岡・藤沢らの思想は、男性読者には受けるでしょう。しかしそのしわ寄せは一体誰のところにくるのでしょうか?

千葉大集団強姦事件の被害者は、どこに怒りをぶつければいいのでしょうか?私も婚活パーティで、藤沢数希読者らしき男性からデートレイプされそうになっています。藤沢数希は経歴も明らかにしないまま極論を垂れ流しています。森岡さんからは『感じない男』でぼろくそに書かれています。この怒りをどこにぶつければいいですか?

以前、2012年に藤沢さん(らしき人)とお話ししたときにニートからガソリンをぶっかけられる覚悟でジャーナリズムをやっている」と言っていました。その覚悟であれば炎上商法も立派です。

しかし藤沢数希がどこの誰かが分からない。そうなれば、出版社に矛先が向かいます。さて筑摩さんはどうなんですか、編集部にガソリンぶちまけられる覚悟でジャーナリズムしていますか、とお尋ねしたいんです。

私たち読者は、真実を知りたいんです。どうすれば幸せになれるか、その方法を知りたいんです。森岡さんが一方的に書き連ねる、「理想の女」とやらを知りたいわけじゃない。

私の素朴な疑問は「なんでこんなにマスカキとスケコマシばかり考えて大学教授が務まるのか?」ということです。それを聞かないと。森岡さんご本人は当然、嫌がるでしょう。それを説得するのがあなたがた編集者の仕事じゃないんですか? なんで向こうの言い分に唯々諾々と従っているのですか。

 

……とまあ、こんな感じのお手紙を書きました。

 

どうも今回、筑摩書房がだらしなさそうなので、あまり期待はしていないんですけど、社内で、ひとりでも意気に感じてくれる人がいることと、その人ががんばって森岡さんの説得をしてくれるといいなと願っています。

(「寝てもいい」というのは言いすぎてしまったかもしれないです。失礼だし、私もそこまで強いわけではないかな……。) 

※下記のフォームから筑摩書房にメール送れますので、意見を送ってやってください。

www.chikumashobo.co.jp